新富・入舟とも八丁堀の南、築地川南支川の北側に位置し、
江戸時代は近江膳所藩本多隠岐守康融の上屋敷があったあたり。
〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286660?tocOpened=1
三又の三吉橋
the forked bridge, Miyoshi-bashi over the highway
写真右奥が銀座方面、左奥が築地方面、手前が新富町。
かつては築地川とその支川である南支川とが分流する地点で、橋の下は、川を埋めて造られた首都高速都心環状線の新富町出口への分岐点になっている(写真2)。
三吉橋の上から京橋JC 方面を望む。
築地橋(築地川南支川)
Tsukiji-bashi bridge
三吉橋の一つ下流に架かり、写真手前が新富町、橋を渡ると築地。
この通りは、橋の下を通る首都高速都心環状線新富町出口への道路(かつては築地川南支川)と、地下に平行して走る東京メトロ有楽町線新富町駅とを横断する。
新富町 (現在の住居表示は新富)
Shintomi
明治初期の数年だけ新島原遊郭が置かれ、新富座開場後は花街として賑わった地域だが、現在はその面影どころか明治の風情もほとんど残っていない。隣接する月島・豊洲の湾岸エリア、そしてこれからは築地エリアの開発に伴い、さらに新しい都市へと姿を変えつつある。
新富稲荷神社
Sintomi-inari-jinja shrine
七代目坂東三津五郎奉納の手水舎がある。神社の縁起も銀杏の樹齢も不明だが、七代目三津五郎の父、新富座座元の十二代目守田勘彌が明治5年(1872)守田座(移転後新富座に改称)を新富町(現・京橋税務署あたり、写真4の道の向い側)に移転した際に稲荷神社も再建したらしい。
新富座は大正12年(1923年)関東大震災で被災し廃座。
新大橋通り
Shin-ohashi dori avenue
「新富二丁目」バス停
通りの左側が新富、右側が入船。
この区間は、かつては、新富町と入舟町の境を流れる入船川であった。入船川は、八丁堀(桜川) と 築地川南支川(写真3)をつなぐ堀として明治期に掘られたが関東大震災後に埋め立てられ、八丁堀は昭和44年に完全に埋め立てられ、現在は一部が桜川公園になっている。
築地~人形町の手前まで新大橋通りの下を東京メトロ日比谷線が走る。
入船町 (現在の住居表示は入船)
Irifune
かつての入船川、現在の新大橋通りの東側のエリア。入船も新富と同様、開発が進む。
入船橋(築地川南支川)
Irifune-bashi bridge
三吉橋(写真1)の2つ下流の橋。
橋の上流側あたりで首都高速都心環状線の新富町出口の一般道と合流する(入船橋交差点)。
下流側の川跡は公園になっているが、公園の両側には使われていないトンネルがあり、幻の首都高速10号晴海線らしい。日の目を見る日が来るのか、それともいつかトマソンに昇格するのだろうか。
橋を渡ってそのまま新大橋通りを南下すれば今日の目的地築地本願寺はすぐなのだが。。。
to be continued...
1.新富町~入船町 Shintomi to Irifune
http://travelingdreamsite.blogspot.jp/2015/08/20150813.html
2. 入船橋~築地本願寺 Irifune to Tsukiji Hongan-ji temple
http://travelingdreamsite.blogspot.jp/2015/08/20150813_17.html
3. 築地本願寺 Tsukiji Honganji temple
http://travelingdreamsite.blogspot.jp/2015/08/20150813_18.html
4. 築地場外市場~新大橋通り Tsukiji Jogai Shijo (Outer Market)
http://travelingdreamsite.blogspot.jp/2015/08/20150813_20.html
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